振り子のその先へ。〜「個」と「集団」の考え方〜
去年1番向き合って、1番苦しんだ問い。
何となくまとまらなくて、「下書き」にしまってあった。
今改めて読み返してみて、これはアップしておこうと思った。
多分考えは変わっていく。でも、ここまで辿り着けたその成果をあげていこう。
自分の成長に敏感でいたい。
…
ここ1年のモヤモヤ。
「教育」で大切なのは、「個」を育てることなのか「集団」を育てることなのかという問いについて。
「教育」を語る上で、「個」と「集団」という2つを巡る論争は、避けては通れない。言葉を変えながらずっとずっと続いてきた課題だ。
「教育」は、「子ども」のためか「社会」ためかという二元論。
「詰め込み教育」もそう。
「ゆとり教育」もそう。
「アクティブラーニング」もそう。
「個別化」も…、そう。
「教育」は「個」か「集団」かをめぐって、振り子のように揺れ動いてきた。
新しい言葉が生まれても、そこに「個」か「集団」かという見えない付属要素みたいなものが付き纏う。
そしてまた同じ論議を繰り返していく。
「個」を育てることも大切。「集団」を育てることも大切。
それはよくわかる。
そして言われるのが、
「要はバランスが大切だよね。」
ってこと。
「バランス」
この言葉に対する違和感。モヤモヤ感。
共感する部分はもちろんある。
けど…、何か違う。
この言葉では教育の問題を解決することはできない…、と考えている。
僕の「バランス」って言葉に対するイメージは天秤だ。
「個」と「集団」が別の要素としてあって、2つのお皿の上、それぞれに「個」と「集団」が置かれている。
天秤が水平になっている。
それが僕の「バランス」が取れた状態を表すイメージ。
僕はこの言葉では、この論議を終わらせることができないと思っている。
もしある拍子に「個」が重くなって、天秤が偏ってしまったら…。
「バランス」をもとめて、僕たちは「集団」の重さを足すことになる。
そして、「集団」の方に重さが偏っていく。
そしてまた、「個」の重さを足して…。
これって結局、振り子のときとおんなじだ。
問題は、振り子の時だって「バランス」を取ろうとしていたということ。
なんだか「バランス」が悪い。
そうして、右往左往しながら揺れ動いてきてしまったんだ。
では、この問題はどう考えていけばいいのか。
この課題を僕なりに問うてきた中で、今のところの到達点を何とか言葉にしておきたい。
僕の答えは、「個」と「集団」は切り離されて議論されるものではないということ。
「個」と「集団」を別の要素として、それぞれ違うお皿に乗せてはいけないということ。
2つを合わせもった言葉はないだろうか。
ずっと考えていた。
そこで辿り着いたのは「1人1人」という言葉。
「1人」でもなければ「みんな」でもない。「1人1人」
強いて言うなら、「1人1人1人1人…以下略」
「1人」としていれる。でもどこかで繋がっている。そんな感じ。
「個」が育つこと、それは「集団」が育つことと同義。
「集団」が育つこと、それは「個」が育つ基盤であり、「個」が育っているという証明になる。
そこに、どっちが先か後かもない。
バランスなんかもない。
僕はこの大きな問いにこの考えで立ち向かいたい。
…
この問いには苫野さんと岩瀬さんの講義「教師の学校」を受けているときに出会った。
それは、岩瀬さんからの「学級はチームなのか?」という問いだった。
「個」か「集団」かという問い。
考えていたつもりだったけど、「乗り越える」だとか、「考え方の違い」に逃げていたんだと自分の甘さに気付かされた。
グサッと心に突き刺ささったあの感覚を今でも覚えてる。
僕にとっての大きな大きな「宿題」になった。
教員1年目、本当にこの問いに振り回されたなぁ。何より、煮え切らない考えで、子どもたちに迷惑をかけてしまった。うぅ…、反省…。
今では、この問いに出会えたこと、本気で向き合えたことは、とてつもなく大きな力になっている。本当に有難い。
この問いを考える上での必読書。『せんせいのつくり方』。
とてつもなくいい本です。
せんせいのつくり方 “これでいいのかな"と考えはじめた“わたし"へ
- 作者: 岩瀬直樹,寺中祥吾,プロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)
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この問いには何度も何度も戻ってくることになるだろうな。
何度も何度も吟味したい問いでもある。
さぁ、お次はどんな問いに出会えるのだろう。
自分の前提が覆される問いに出会うとワクワクしてくる。
何でもかかってこ〜い!!