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大田尭先生とセンス・オブ・ワンダー

大田尭先生が亡くなられた。

大学時代、大田先生の言葉に勇気付けられ、支えられた。

 

訳あって、教育学部なのに、レイチェル・カーソンの生涯を調べた、大学1、2年生。

必要性は感じながらも、ただ事実を並べるだけで、教育学との繋がりを感じられずにいた。要はワクワクしていなかった。

 

そんなとき、大田先生の本と出会った。大田先生の言葉が、レイチェル・カーソンと教育を繋いでくれた。

以下、引用。

 

 子どもたち一人ひとりのもつユニークな驚く心(センス・オブ・ワンダー)の中から、知性、道徳性、芸術性などと人たちが名づける人間の諸能力が湧き出てくると考えられます。残念なことに大人たちはこうした子どもたちを自分のような『今』の『大人』にするために、せっかちにもろもろの既成のマニュアルをおしつける傾きが強く、せっかくの活力に水をさすことになるのです。そして、それを子育て、教育と思いがちなのですが、子どもたちは、『明日の大人』世代として、この地球と、そこでの人およびあらゆる生きものとつきあう全く新たな主体となっていくのです。

 

あの活力にみちた子どもの内面にうずまく星雲とでもいうほかはないもの、感性、情動、そして世界の理によって探検せずにはいられない好奇心が一体となった『驚く心(センス・オブ・ワンダー)』の中に子どもの人権の座があるということです。『今』の私たち『大人』の常識、制度、もろもろのきまり(マニュアル)の枠組をも『はみ出る』、ほとばしり出てくる生命力と表現してもよかろうと思います。

  

 

この大田先生の言葉に出会ったときの興奮は今でも覚えている。 

言葉から伝わる大田先生の教育への熱意と優しさ。

何か自分が認められたような気がして涙が出るほど嬉しかった。

 

このとき、「卒論」がワクワクするものに変わった。「学ぶことが楽しい!」というあの感覚は、自分にとって初めての経験だったかも。「生きることは学ぶこと」というこの本のタイトルがスッと体の中に入ってきた。

 

「卒論」は自分にとって大学での学びの集大成。そして、今の軸にもなっている。

 

 

迷いに迷ったけど、「卒論」を公開します。

一番の理由は、大田先生からいただいた、自分の中の遺産をここに残しておこうと思ったからです。

どれくらい読まれるかは、わかりませんが、魂込めて書きました。

 

都市部の小学校における教育の再考

 

穴だらけなのは百も承知。

言葉として表現しきれなかった部分もある。

日本語としておかしなところも多々あるでしょう。

何か感じたことがあれば教えていただければ幸いです。

 

 

最後に、大田先生本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。